この度、発達サポートMAMEZO(まめぞう)を開所させていただきます、藤村と申します。
幼いころの私は、他の子よりできないことが多いと感じ、劣等感から周囲とのコミュニケーションもいびつで、まったく自信のない子どもでした。
遠くを眺めながら「なんでこんなに何もできないのに生まれてきたんだろう」と、ずっと考えていました。
また、やさしかった母親から、たまに叱られると「俺だって、好きで生まれてきた訳じゃないよ」と、ずっと思っていました。
癇癪を起こしながら、「僕なんか死んでしまえばいいんだ」と叫んでいるお子さまの気持ちが、痛いほどよく分かります。幼いころの私も同じ気持ちでした。
転機となったのは、中学生の時のこと。
海が好きだった私は、近くにヨット部のある高校があると知り、どうしても入りたいと考えました。
得意、不得意が極端だったため、三教科しかない、私立高校の受験だけは頑張ることができました。
高校受験を通して、人生ではじめて、ちいさな目標を達成した私は、入学後、すぐにヨット競技にのめり込みます。
生まれてはじめて、自分が心底、好きになれるもの、没頭できるものを見つけた私は、マリオでいう“スター状態”でした。
平日は日没まで、休日は、朝から暗くなるまで、どうしたらもっと上手になれるかだけを考え、十代後半の私は、向上心の塊と化していました。下ばかり向いて歩いていた幼少期とはまるで別人です。
その結果、高校三年時に、国体で個人2位となり、W大学に先に進学されていた、隣の高校の先輩(のちに北京オリンピック日本代表)から、ぜひうちに欲しいとお誘いがありました。
結局、毎日、練習に没頭するあまり学業がおざなりとなり、厳しかった学校から推薦してもらえないという、“残念”なおまけがついてしまいましたが、その後、誘っていただいた地元の大学に進学したおかげで、ユースの日本代表にも選ばれ、学校や協会、チームから資金援助を受け、海外をまわることができ、その経験から、世界の広さと多様性のあり方について、早い段階で気づくことができました。
大学四年時には主将として、目標を達成するための組織づくりに徹し、チームで日本一(そこから福岡の大学としては異例の全国大会三連覇)となることもできました。
社会人となってからは、自らの経験を活かし、かつての自分のような思いをしている人の助けになりたいと考え生きてきました。その夢をいつか実現する為に、質素な生活を心がけ、資金を蓄えつづけました。
二十年の月日が過ぎ、
いま、ようやくその機会が訪れようとしています。
成長期のお子さまにとっては、学習も、運動も、体験も、すべてが大切なので、バランスよく取り入れられる体制を整えています。
一方で、かつての私のように、ひとつ自分が得意なものと出会ったのを機に、一点突破から世界がひろがる可能性にも注視する必要があります。
まず、支援する側が広い世界と可能性を知ることで、はじめてお子さまに対して、将来どんな選択肢があるのか、具体的に分かりやすく伝えることができます。
また、スタッフ自身が大きな壁を乗り越えた実体験をもつことで、強い共感を生み、お子さまに寄りそった、“心ある”支援につながるはずです。
私は、人から無理だと言われても、笑われても、信念をつらぬき多くの壁を突破してきた経験から、お子さまの可能性を何ひとつ否定しません。
ひとりひとり、自分なりに懸命に生きているお子さまに対して敬意をはらい、あらゆる可能性を信じ、全力で支持する以外の選択肢をもちません。
お子さまが頑張りすぎている時には、押し潰されてしまわないよう、心身をリラックスさせてあげることも必要でしょう。
スタッフも、多くの応募者のなかから、自身も多くの壁を乗り越えてきた方や、お子さまの気持ちがわかる人だけを厳選しています。
最後に、
設立に際して、多くの方々のご支援と、ご理解とご協力をいただいた感謝を記させていただきます。
世の中に、当たり前のことなど何ひとつないこと、そして感謝の気持ちを忘れずに、自分に与えられた残りの時間で、かつての私のように壁に阻まれ、もがいているお子さまが、ひとりでも多く、少しでも自分の力でブレイクスルーできるよう、支えていく所存です。
貴重な時間を割き、ご覧いただいたことに感謝します。
ありがとうございました。