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2022.12.21

ちいさな奇跡をおこす方法

今から20年以上前の話です。

当時19歳だった私は、ヨット競技のマッチレース国際大会にユース日本代表として出場するため、10月初夏のニュージーランドに来ていました。

大会も無事終了し、閉会式も兼ねたフェアウェルパーティでのこと。

各国、全10チームが、それぞれ登壇して、(もちろん英語で)短いスピーチを求められました。日本チームのテーブルには、選手の他に、ホームステイ先の主人ジュリー(50代男性)が同席しており、浮かない顔をしていました。

ジュリーにしてみれば、挨拶に毛が生えた程度の英会話しかできない、目の前のアジア人にとって、大勢を前にしたスピーチは酷すぎると感じたのでしょう。

ジュリーは、日本でいう頑固親父みたいな人でした。私たちが来た当初は、夕食後、やけどするくらい高温の熱湯に皿をつけ置き、あとは清潔なタオルで拭き取るだけという、古いNZ式の作法を厳しく指導するなど、私たちは強い不安を覚えたのですが、徐々にそれが、せっかく遠い日本から来た若者たちに、地元の本格的な体験をしてほしいという、彼なりの愛情だと伝わってきました。

スピーチを前にして、日本人以上に緊張しているジュリーを見た私は、恩返しではないけど、彼に喜んでもらえるような登壇にしたいと考えました。

とは言え、私には英語のスピーチの経験もなければ、それに相応しい英話力もありません。

ただ、短い挨拶をして、堂々と去ろう。それだけを考えました。

スピーチの前半は、先に登場した各国の選手にならい、優勝チームを讃えるコメントを、拙い英語で話しました。

会場は、シーンと静まり返っていました。仕方ありません、ほとんど何と言っているのか、わからないのですから。

私は、挨拶は最後が肝心だと考えていたので、会場の人にどうしても伝えたかったメッセージを、想いを込めて英語で言いました。

「いつか、ぜひ日本にも遊びに来て下さい。日本のお米は、とても美味しいです」と。

会場は、ざわつきました。見渡すと、クスクス笑う人、「いまなんて言った」みたいな感じで、

隣の人に尋ねる人がいます。発音が悪くて、伝わりきっていないんだと、私は思いました。

そして最後に、ありったけの想いを込めて、言い放ちました。

「ジャパニーズライス イズ ベリー デリシャス」

結果、会場は大爆笑。席に戻ると、さっきまでうつむき気味だったジュリーが、戻ってきた私の両手をとって、上半身が激しく揺れるくらい、「良くやった、良くやった」と褒めてくれました。

スピーチで盛り上げることができたのは、後にも先にも、この一瞬だけです。

私がちいさな奇跡だと感じれば、それは大きな喜びや一生の思い出となり、誰が何と言おうと、私がしあわせだと思えば、それが私たちだけのしあわせになります。

運動神経も良くなく、できないことだらけだった私が、学生時代、社会人以降、各年代でたくさんのちいさな奇跡と遭遇できたのは、特別に優秀だったからではありません。

理由は、「自分(お子さま)を信じる」「すべての可能性を否定しない」「簡単にあきらめない(あきらめが肝心な場合もある)」ことを、地道につづけてきたから。

そして何より大きかったのは、多くの善良で愛情深い大人たちに支えられ、導かれてきたから。

次は、私が惜しみなく支える側になるのは、当然の流れだといえます。

お子さまたちには、私よりもっと広い世界を見てほしい。私より遥かに早く、「世の中もそんなに悪くない」と気づける体験をたくさんしてほしい。そんな想いを原動力として、全力でサポートしています。